この本を読んでいる間、本の内容とは全く関係なく、
自分の時間と日常がとても豊かになっているような、否定的ではない飽和状態の幸せを感じた。
物語は決して明るくない。誰も救われない。読後には苦々しさが残る。
それでも、それにも関わらず、気持ちはその反対を向く。
花火が消えた後の夜空や、散り終えた桜の木並みの側を歩くような静かな豊かさがあることに驚く。
それはとても不思議な体験だ。
本の人物はまるで現代そのものに思える。
現代が目の前で人の形をして現れている気がする。
彼らの考え方、生きる態度、仕草までもが現代的だと感じてしまう。
それは同時性である。なので、彼らの選択、思考の流れ、反応、そして日々の願いが、
現代を生きる自分ともすごく繋がっていると感じてしまうのだと思う。
おそらく、その状況の中で自分の場合、彼らより良い選択肢があったとはとても思えない。
彼らのような人物がもし近くにいたとしても、かけてあげられる慰めの言葉はおそらくない。
自分の選択であり、人の選択であり、我々の選択であるので、その選択が紡いでいく世界が、現代そのものに通じると思える。
そうなると、人物や物語は、他人のことではなくなる。
確かに救いのないストーリーが展開されてしまうのだけれど、それが丸ごと自分でもあり、社会であり、今の時代だと思うと、悲しみいっぱいの連帯の豊かさがそこにあって、こちら側に言葉にならない慰めをくれる、受け取っているので、
おそらくそのような静かに澄んだ心になってしまうんだと思う。
視点を変えると、自分にこの物語が他人事ではないように感じるのは、母国と現在の日本の文化両方知れる環境も影響があると思える。
アイドル文化やファンダムはむしろ、日本の方がよりずっと早くから文化としてあったと知っている。
近年は韓国のKPOP文化は世界に誇れると、国をあげて派手に情熱を注いでいるが、何十年の前から日本には既にファンダムがあり、オタクがあり、サブカルチャーがあった。
そして韓国には、巨大=メガ級の教会が実際たくさんある。
子供のころから自分もクリスチャンとして育てられ、有名な教会にも何度か連れて行かれたのを覚えている。熱心に祈る母の顔や、知らない大人の、目を瞑って、それはそれは切ないし必死だった。
自分の、全てを、できることなら預けたくて彼らは必死に神に祈る。
未だ全て神に見られているという感覚が残っていて、時々思い出す。今も見られていると感じる時がある。
熱狂するファンやオタクと熱心なクリスチャンを私両方とも違う文脈として自然に成り立って良過ぎて、繋げられなかったが、作品の中の、
「みんな、自分を使い切りたがっている」という表現でその二つは完全に繋がることを悟る。
あまり気づきたくない発見だ。
自分を使い切る=使い切らなければならない状態=積極的な自己搾取を強いられた現代人の救いは、神ではなく人とのつながりだと作品から受け取ることができる。しかし、なかなか、とても、それは難しい。
人と心から繋がれるより、AIか、ペットとつながる方が簡単なのかもしれない。
そして私はこっそりと、この小説の人物達とつながりを体験する。
それはAIやペットとつながるより救いになるだろうか?
救いにはならない。小説の人物とつながりを持った、感じたとしてもそれは信者が神を得た、オタクがハマる作品に出会った、の構造にすぎない。
本を読むという行為もある種のファンダム行為の中にある。
本を読むことそのものがファンダムなのではない。けれど、ある本を「理解した」ことによって、自分が何かを知る側、分かる側に移動したと感じた瞬間、読書は奇妙な所属行為になる。「読んだ私たち」だけが共有している何かが生まれる。その構造は、宗教やファンダムとそれほど遠くない。
自分の労力を、欲を、出し切る、偶像をもつ、神をもつ、戦争をする、全てとても大きい意味ではオタク行為に等しい。救いにならない。混沌と恐怖と体験と感情が残って蓄積され、得体のしれない何かを残していく。それで時間がたち、人が生まれて死に、歴史が流れる。
それにも関わらず、花火の残像のように、清々しい心になるのは、
おそらく、本当のところ、それを他人事として受けとっているからだ。
他人事ではない物語を、他人事のように扱う事に実に慣れていて、卓越に情報を処理してしまうので、
得体のしれない重い何かを、栄養に変換して受けとっているせいだ。
小説の人物と繋がる体験ではなく、人とつながる難しさを個人の問題から共通の問題に拡張して再認識した事で得られる安心感のほうが正直な心声なのだ。
本を読んでそれについて書いては残すのも、アイドルや神の如く本が自分の中で位置づけされているということで、物語全体が自分の方へ戻ってくる。
おそらく残るのは、誰もが平等に救われないという現実だけだ。
2026.8

BOOK NOTE
朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』
2025|日本経済新聞出版



























